|
▼高野山っていったい何? ◆▼■▲◆▼■▲◆▼■▲◆▼■▲◆▼■▲ 和歌山県北東部にある、千メートル前後の山に囲まれた真言宗の霊地。 ◆和歌山県の山奥にあるって事ですね(笑) 八一六年(弘仁七)空海が自らの入定地として下賜を受け、のち真言宗の 総本山金剛峰寺(コンゴウブジ)を創建しました。 ◆昔々えらいお坊さんが住んでお寺を建てました。
※御理解頂けたでしょうか?
「馬鹿にするな〜わかるちゅうねん!!」って怒られそうですね(笑)
|
|
▼maosgiftのmaoって? ◆▼■▲◆▼■▲◆▼■▲◆▼■ 空海の幼期時の名前です。 幼名を真魚といい、人々は貴物[とうともの]と呼びました。 ※ここで、ちょこっとうんちく(笑) 宝亀五年(七七四)<不空三蔵が入滅した日> 四国の讃岐国多度郡屏風が浦で名門一族の 父・佐伯直田公[さえきのあたいたきみ](善通) と母・玉寄姫の三男として生まれます。 |
|
▼空海って? ◆▼■▲◆▼■▲◆▼■▲◆▼■ ※興味のある方は読んで下さい(笑) 弘法大師「空海」は宝亀5年(774)に、 現在の香川県善通寺に降誕されました。 幼い頃より聡明で18才で京の大学に入学され、中国の諸学問を学ばれますが、 ご自分を満足するに足らないと、仏教にその教えを見出されて退学をされます。 その修行の中で今までの仏教ではない密教に出会われた空海は、自分の求めて いる物を直感され、唐(中国)に学ばれる決意をされ、31才の時(804年) 留学僧として入唐されます。長安の恵果和上に秘法を授けられ、多くの経典や曼 荼羅・仏具などと共に806年に帰朝されます。 36才の時真言密教の法灯を掲げられ、これより嵯峨天皇の外護のもと 真言宗の教えを弘めてまいられます。以後、多くの著書を著わし、真言密教の教 義を弘めると共に、衆生済度の考えの下、四国は満濃の池の修復や綜芸種智院の 開学などを行い、常に民衆の中に自分を置かれ、人々を救われました。ご存知の 「いろはうた」も弘法大師の作とされています。 承和2年(835)62才で高野山に入定されるまでの間、即身成仏と社会教化 を宗旨として、教育・文化・社会事業と幅広い活動をされました。 延喜21年(921)弘法大師の諡号を賜っています。 |